あれは、夏の蒸し暑さがまだ残る九月の夜でした。私はリビングのソファでくつろぎながら、一日”の疲れを癒していました。部屋の電気を少し落とし、穏やかな時間を過ごしていた、まさにその時でした。視界の隅、白い壁紙の上を、信じられないほど素早く動く黒い影がよぎったのです。ゴキブリ。その三文字が頭に浮かんだ瞬間、私の心臓は氷水に浸されたように冷たくなりました。これまで自分の家は清潔にしていると自負していただけに、その衝撃は計り知れませんでした。恐怖と混乱で体が固まる私をあざ笑うかのように、その黒い影はあっという間にテレビ台の裏へと姿を消してしまいました。その瞬間から、私の安らぎの時間は終わりを告げました。テレビ台の裏という、手の届かない暗闇に敵が潜んでいる。その事実が、私を言いようのない不安に陥れました。もしかしたら、あの中にはもっとたくさんの仲間がいるのではないか。「一匹いたら百匹」という、あの忌まわしい言葉が頭の中で鳴り響きます。もはや、じっとしていることはできませんでした。私は殺虫剤を片手に、息を殺しながらテレビ台の周りをうろつきました。家具のわずかな隙間を覗き込むたびに、奴が飛び出してくるのではないかと、心臓が大きく波打ちます。自分の家なのに、まるで敵地に潜入した兵士のような気分でした。結局、その夜、私は再び奴の姿を見ることはありませんでした。しかし、それは決して安心を意味しませんでした。むしろ、どこに潜んでいるかわからないという見えない恐怖が、私をじわじわと蝕んでいったのです。ベッドに入っても、暗闇のどこかからカサカサという音が聞こえるような気がして、ほとんど眠ることができませんでした。あの一匹のゴキブリは、私の日常から平穏を奪い去るには十分すぎる存在でした。そして、朝日が昇る頃、私の心には恐怖に代わって、ある種の決意が生まれていました。もう二度とこんな思いはしたくない。この恐怖に終止符を打つために、私は本気でゴキブリ対策に取り組むことを誓ったのです。